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2019-10-21 (Mon)  09:53

フジの河田町時代を知る牧原俊幸アナ お台場移転で“残念”なこと

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フジの河田町時代を知る牧原俊幸アナ お台場移転で“残念”なこと

10/21(月) 9:26配信

日刊ゲンダイDIGITAL

【今だから語れる涙と笑いの酒人生】

 牧原俊幸さん(フリーアナウンサー・61歳)

  ◇  ◇  ◇

 フジテレビのアナウンサーを長年務め、昨年フリーとなり、寄席でマジックを披露するなど多岐にわたり、活躍する牧原俊幸さん(61)。局が新宿区にあった頃や先輩アナとの酒席エピソードを語ってくれた。


 お酒の思い出はやはりフジテレビ時代。深夜帯の「プロ野球ニュース」をやらせてもらった新人の頃は東京近郊のナイターで3人ほどの先輩が球場に行っていますが、僕は野球以外のスポーツ結果を伝える役だったので、毎晩局にいたんです。

 今じゃ許されないでしょうけど、先輩たちが生放送を終えて戻ると、アナウンス室で軽くビールを飲んでから帰るのが日課。新人の僕は毎晩、その準備。本番後、食堂に行き、おつまみになりそうなメニューを食券と取り換えたり、お酒は冷蔵庫に常備していたと思います。そして、大先輩たちと小宴会を開く。当時はアナウンサーも職人ぽくて、僕が先輩にお酌してました。先輩は飲み足らず、当時、新宿区河田町にあったフジの近くの居酒屋に、僕もお付き合い。商店街に馴染みの店が3軒くらいありました。

 思い出深い先輩が、数年前に退社された福井謙二さん。すごく飲む方で、2、3軒ハシゴして、最後はなぜかお一人で飲みに行く。福井さんがアナウンス室長をされた時期、僕はすぐ下の立場でしたし、30年くらい共に飲みました。最近まで一緒に飲みに行く機会がありましたが、やはり最後は一人で飲み直す(笑い)。福井さんも僕もビール党です。

 局がお台場に移ってからは大井町が飲み場に。僕もそうですが、大井町で乗り換えるアナウンサーが多かったから。大井町には狭い路地の飲み屋街がたくさんありました。スナックだけじゃなく、小さい料理屋とかゴチャゴチャに並ぶ穴場的な場所。僕と飲んだ後、福井さんはそういう路地に一人で消えていかれました。最後は一人飲みが好きな人だから、僕は2軒付き合ったら「後はお一人でどうぞ」という感じで、福井さんの後ろ姿を見届けて、帰ります。

 若い頃は明日のことを考えず、ムチャして飲んでいました。早朝6時の生番組では二日酔いで気持ち悪くて、なんとか乗り切ったことも多々ありました。「もうやめよう」と反省はするけど、夜になると飲みに行ってしまう(笑い)。でも、遅刻はしなかったと思います。

 河田町時代は、アナウンス室の宴会もよくありました。局の近くのスナックでカラオケをやったり。もちろん男性アナ中心ですけど、たまに女子アナとも飲みましたよ。フジテレビ下通りの商店街を飲みに行こうと歩いていると、帰宅する女子アナも歩いていて、「ちょっと寄る?」と声をかける。女子アナは30分付き合うつもりが、3時間飲んでるとか。フジテレビ下通りの階段を下りたところの店の前で引っかかって、いつもだいたいその店で飲んでましたね。

■ビール党からハイボール党に

 女子アナも気軽に付き合ってくれたけど、お台場に行ってからそういうノリはなくなりました。

 今は局の近くで男女のアナウンサーが飲むなんてないでしょうから、当時はいい時代だったんですね。

 4、5年前、血糖値が高くなり、ビールからハイボールに替えると、数値が少し下がりましたし、おいしいと思えたので、今はずっとハイボール党。

 去年、退社する際に局の方からソーダ水を簡単に作れるマシンをいただいた。小さいボンベみたいな装置付きで、プッシュするとガスにより冷水が炭酸水になる仕組み。

 今わりとはやっているかな。それを使って、家でハイボールを作って楽しんでます。

(聞き手=松野大介)

▽まきはら・としゆき 1958年7月、北海道生まれ。フジテレビアナウンサーを83年から2018年まで務める。定年退社後はフリーアナウンサーとしてフジ系「99人の壁」をはじめナレーションを行いながら、講演、マジシャンとして寄席に出演するなど活躍中。



引用:フジの河田町時代を知る牧原俊幸アナ お台場移転で“残念”なこと



最終更新日 : 2019-10-21